第16章 信仰の賜物 フランシス著
ある朝 私は、病人をいやすいろいろな方法についての教えを準備していたとき、主は私にあることを語ってくださいました。
それによって いやしに関するあなたの人生とあなたの働きが、すばらしく変えられるものと
私は信じています。 私たちは皆、病人をいやす力を持つことができるのでしょうか。
そのとおりです。 みことばには、病人をいやす方法は 私たちの中に与えられている、と記されています。(マルコ16:18)
けれども たぶんあなたは、「私にはいやしの賜物はありません。 聖霊によって私に与えられていないからです。 神様はご自身のみこころの通りに与えられますから。」と言われるかもしれません。 神様は私に、「聖霊は、みこころの通りに、誰に対しても 賜物を与えられる。」と言われました。 もしあなたが用いようとしなければ、聖霊はそれを与えません。 聖霊は、あなたが霊的にとても弱く、言われたことに従わなければ、あなたに「信仰の賜物」を下すようなことはなさらないのです。
神様は、あなたが車椅子の人に、立ち上がって歩くように語ることを願っていますが、もし、「神様、冗談でしょう。
もしその通りにならなければ、とても恥ずかしいですよ。」とあなたが答えるなら、神様はあなたに信仰の賜物を与えはしません。
「信仰の賜物」は、聖霊によって私たちに与えられた 最もすばらしい賜物の一つです。 これは常に与えられている賜物ではありませんが、あなたに超自然的な壁を乗り越えさせ、全く疑いもなしに、奇跡を行なうようにさせる 賜物です。 信仰の賜物は、あなたを とてもすばらしい勇士にしてくださり、終わった後 神様が自分を通して、このようなすばらしいことを成してくださったことを、ほとんど信じることができないほどです。 信仰の賜物は、ある期間、あなたを超人に変えてしまいます。 使徒3章のすばらしい物語で、ペテロは、
「金銀は私にはない。 しかし、私にあるものをあげよう。 ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」 と言いました。
信仰の賜物がペテロに下り、彼は超人になりました。 みことばに、
「彼の右手を取って立たせた。 するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、」 と記されています。
信仰の賜物はペテロに注ぎ込まれ、そして彼は行動に移しました。 ペテロは、「喜んで進んで」する人の一人でした。
信仰の賜物は、下った時すぐに感じる事ができます。 ほんの短い間、悪魔は最後の攻撃をしかけ、あなたの心に疑いが横切るかもしれませんが、信仰をもって踏み出す時 あなたは超人になるのです。
私たちはペンテコステで育ちませんでした。 ですから、聖霊のバプテスマを受けるまでは、限られたいやししか体験しませんでした。 聖霊のバプテスマの後、テキサス州のエルパソで、神様が私たちを突然
奇跡の働きに導かれて、いやしはだんだんと増加しました。 そのことについては、「イエス様が通られてから」の中に書いてあります。
ある日ケンタッキー州のルイスビルで、カトリックの夫妻がこの本を読んでいました。
彼らは、今日も 神様が超自然的な働きをされていることを知り、とても信じられませんでした。
彼らには脳性麻痺にかかっていた小さな息子さんがいたのです。 副(そ)え木や 松葉づえがないと 一歩も歩くことができませんでした。 這ったことさえありませんでした。
それは、しっかりと身体を調整することが できなかったからです。 彼らは、その本を
読めば読むほど、信仰が湧いてきました。 この20世紀でも、この5歳の男の子は
いやされるのでしょうか。
彼らは新聞で、ルイスビルのエバンジェル・タバナクル教会で 私たちがいやしの集会を開くことを、知りました。 出席すると決心した時、大きな期待を持つようになりました。 農場を経営していたので、朝3時に起きて牛の乳を搾りました。 みんな早く着替え、180キロメートルも離れたことろから 自動車で午前8時に教会にやって来ました。 何時に始まろうと、彼らは決して集会を逃したくはなかったのです。 ルイスビルに向かう途中で彼らが話していたのは、いやしのことばかりでした。 何一つ疑わず、すべての会話は、「ジェフィーはいやされる」という信仰のものでした。 ルイスビルに着いて、彼らは いやしの集会はその晩であることを知り、ちょっとがっかりしました。 夜まで待つことができなかったのです。 それはもう一度牛の乳を搾らなければならなかったからです。 けれども私たちは、ジェフィーのために、朝の集会で祈ることを約束しました。
私たちが、足萎えのその少年を見たとき、私たちの信仰はあまり強くはありませんでした。 その朝の集会には、私たちの信仰を助け 立て上げるような 多くの信者は出席していませんでした。 神様は、私たち二人と ジェフィーの両親と ジェフィーに、超自然的な信仰を与えてくださいました。 私たちは会衆の中へ走り、ジェフィーを抱え上げ、両親に前に来るように言いました。 私は ジェフィーをひざの上に抱え、とても大切な質問をしました。 「神様はあなたをいやしてくださると、信じますか。」と。 ジェフィーは、あたかも私が頭がおかしくなったのではないかと思い、私をじっと見ました。
それはルイスビルから彼の両親は 必ずいやされる、と言い続けて、その上で、私が彼に
「神様がいやしてくださると信じるか」と聞いたからです。 彼は、「もちろん
神様は、僕をいやしてくれます。」と何の疑いもなく 揺るがない確信をもって、すぐに答えました。
信仰の賜物が私たちの中で盛り上がりました。 私たちはジェフィーに手を置くと、ジェフィーは両親を見て 副え木を外すように頼み、両親が「そうしよう。」と言うと、二人とも 神様の力に倒されました。 そこでチャールズがジェフィーの副え木を外しました。 彼はジェフィーを私の膝から抱え上げ、立たせ、何の躊躇もなしに、「ジェフィー、イエスの名によって、走りなさい。」 と言いました。 歩くのではなく、走るように言ったのです。 講壇から床まで階段が3段ありました。 ジェフィーは決してためらいませんでした。 階段を飛び降り、走り始めました。 走れることに全く疑いを持ちませんでした。 いやされることに全く疑いませんでした。 できる限り速く走りました。 最初の8〜10メートルはあまり上手ではありませんでしたが、だんだん速く上手になりました。 最初の数歩は お尻が曲がっていたために 足取りは確かではありませんでしたが、すぐに彼は後ろの方まで走り、方向を変えました。 私は「ジェフィー、こちらへ走って来なさい。」と言うと、できる限り速く講壇に走ってきました。 私は床に降り、両手を広げて待っていると、彼はあと2メートルのところまで来ると 私にとびかかり、梯子を上るように私に駆け上がり、腰にしがみつきました。 彼は生まれてから一度も、副え木なしで歩いたことのなかった子供だったのです。 信仰の賜物は、(奉仕の器に)与えられるだけでなく、みんなが受けるものなのです。
私たちはジェフィーと両親と共に夕食を食べ、彼らは副え木を私たちにくれました。
もう二度と必要ないからです。 副え木は、現在の神様のいやしの力のすばらしいあかしとして、今でも私たちの家にあります。
彼は靴下で買い物に行き、ずっと前から欲しがっていた靴を買いました。 一年後、ジェフィーと会った時、10キロも体重が増えていました。
1年間で靴は子供のサイズから 大人のサイズにまでなり、そして学校で表彰されました。
神様は、彼の心も 身体も 霊も、完全にいやされたのです。
もし、私たちが信仰の賜物を働かせなかったら、何が起こっていたことでしょうか。
ジェフィーは決していやされなかった と思います。 もしチャールズが座ったままで「今まで一度も歩いたことのないこの子に、歩けなんて言えない。」と言ったとしたら、ジェフィーは今日もなお
副え木をつけていたことでしょう。
信仰の賜物は、あなたの中から湧き上がってくるもので、それが来たときはいつでも、野生のトラのように大胆に踏み出し、神様が言われることを何でもしてください。 私たちのいくつかのすばらしいいやしは、信仰の賜物から起こっており、あなたにも同様なことが起こります。
私は ジョージア州のコールウェイ・ガーデンで フルゴスペルの集会に出席していました。 私たちが部屋に入ると、フロリダ州のジャクソンビルから来ていた外科医ダッグ・ファウラー博士が、次のような預言をしていました。 「『今夜、わたしは、創造的奇跡を行ないます。 失われていた身体の部分を 創造し、加えるでしょう。』 と、主は言われます。」 ハレルヤ!
私たちは本当に興奮しました。 創造的奇跡が起こるということが、どういう意味なのかを
特に知っている医者から、このような預言が出てくることは 非常にまれだったため、私たちはとても興奮しました。
なぜなら医者は、手術台で”取り除く”ことはしますが、創造的奇跡のように、存在していない物を
中に入れることは、とても難しいことだからです。
その夜、私たちが最初にしたことは、神様の力を示す(Tコリント2:4)ために、短い手を伸ばすことから始めました。 係の方が、一人の男性を前に連れてきました。 彼は一方の腕が 他方よりも約20センチも短かったのです。 私たちが どうしてこのようになったかを聞くと、彼は、「12歳の頃、腕がほとんど切断され、後で縫い合わせたのです。 それから成長しませんでした。」と言いました。 私たちの心の中で、何かが爆発しました。 私たちは新しい創造の預言を聞いたばかりで、私たち二人とも 同時に 信仰の賜物をいただいたため、すぐにこの男性を助けたいと思いました。 このように二人同時に受けるときには 確かに大きな感動があります。 彼は、40年間成長した腕と、12年間成長した腕で そこに立っていました。 チャールズは 2本の腕を前に伸ばさせ、それを支え、3人の医者が私たちの後ろに立っており、チャールズは 筋肉、神経組織、血管、骨髄、筋、骨などに命じました。 1300人の人々の前で 腕が伸びるよう、何度も命じたのです。 私たちの心には、何の疑いも不信仰もありませんでした。 その腕は、信仰の賜物の命令に 応じ、だんだんと伸び始めました。 その3人の医者は、絶対に不可能なことを知っていながら、実際
自分たちの目の前で起こっていることを見て、自分たちを制する事ができず 大声で叫び始めました。
約15秒間、神様はその腕に 新しい部分を加えてくださったのです。 神様は再び、(天地創造のわざを、)行なわれました!
さらに、その結果何が起こったのでしょう? 一人の婦人はとても興奮し、車椅子から立ち上がりました。 信仰の賜物が、私たちから飛び火したのです。 また信仰の賜物が会場中を覆ったため、耳しいの婦人がいやされました。
その腕は 完全に普通の大きさと長さにまで伸びました。 しかし、まだ手は、12歳の手でした。 しかしそうであっても、私たちは少しも動揺しませんでした。 私たちはまだ、信仰の賜物の超自然的力と 油注ぎを 持っていました。 そして私たちがその手に向かって、普通の大きさに成長するように命じると、12歳の手が バラの花のように開き、もう一方の手と同様に40歳の大きさになりました。 なぜでしょうか。 その夜、信仰の賜物が下ったからです。 そして二人の普通の人が、超自然的な人となりました。 あなたもそのようになれるのです。
チャールズ著
神様はご自身の民にいろいろな方法で語られます。 ある時にはとても人間的で普通のように見えますから、私たちはよく神様だとは気づかないことがあります。
誰でも一度や二度は、神様が語られたのか、自分だけの思いなのかと、考えたことがあるでしょう。
信仰の賜物はいろいろな方法で働きます。 それは神様が語られることや 啓示の知識より 来ます。 これは特に一人であろうと、百人であろうと、病人のために祈っているときに起こります。 そして突然 いやしが起こることを、知るようになります。
ジェフィーの場合、神様がどのように語ってくださったかを 説明するのは難しいのです。 なぜなら私たちは 信仰の賜物の働きについて まだ始めたばかりだったからです。 副え木を外すべきだと 私たちの心の中にはっきりした確信が 突然やってきました。 神様からはっきりと聞かないで 副え木を外したりするのは危険です。 それはあなたが「信仰の確信」を持ったときにのみ すべきです。 (人間的・サタンの)見込みはさらに悪くしますが、(神の)信仰はいやします。 「信仰の賜物」と 「知識の言葉」が 一緒に働くことがあります。 しかし、いつもそうとは限りません。 神様が「知識の言葉」を与えるときは、言葉が身体に何かを感じることによってですが、それは100パーセントの確率です。 しかしこれは、信仰の賜物を働かせたり 受けることとは、異なっています。 あなたが聖霊によって動かされているときは、両方とも完全に信頼する事ができます。 しかし、知識の言葉が伴った 信仰の賜物は、霊の中に一切の疑いもない信仰を 衝撃的に与えてくれます。
数年前、テキサス州のエルパソで、神様は私たち二人に 全く同じ時間に、翌日の夜のいやしの集会を持つように語ってくださいました。 私たちは一度もいやしの集会をもったことはありませんでした。 その少し前に、聖霊のバプテスマを受けたばかりでしたが、神様が語ってくださったことが わかりました。 信仰の賜物が私たちの上に下っており、私たちは奇跡を行なう神様に頼ることができるということを 知っていたので、大胆にも 神様が語ってくださったことを報告しました。 全く疑いもなく、何の躊躇もなく、退くこともなく、ただ大胆さがあり、神様が何をしようとしているかを宣言しました。
信仰の賜物は、いつも働くとは限りません。 またこれは、祈って与えられるようなものではありません。 それは、みこころのままに神様が私たちに下さるもので、特別な時と、特別な目的のためなのです。 私たちはいつも 神様の霊に敏感になるべきです。 それは神様が私たちのために備えておられる超自然的なすばらしいことを
逃さないためです。 これはいやしにのみ働くとは限りません。 他の多くの分野にも
信仰の賜物は働きます。 信仰の賜物は、ビジネスの面においても 非凡な大胆さと
確信を 与えてくれます。 私たちがまだ十分に知り合っていなかったときに、信仰の賜物は私たちの結婚の中にも働きました。
神様は私たちが結婚するように言われたのです。(「チャールズに対する私の愛」を読んでください。)
ペテロが水の上を歩いたとき、信仰の賜物を持っていました。 イエス様は水をぶどう酒に変えられたとき、信仰の賜物を持っていました。
主は同時に、「奇跡の賜物」をも働かせました。
私たちが祈ってあげている人々のほうに信仰の賜物が下り、私たちには下らないこともあります。 これは私たちに下ったのと同じように効果があり、人々が私たちに驚くように、私たちも彼らの反応と行動に驚かされます。
ミネアポリスで、一人の婦人が 複雑骨折でいやしのために前に出て来ました。 集会の一週間前に足を折ったのです。 医者はギブスを当て、それを取るまで6週間かかると言いました。 私たちは祈りの列にいる彼女の副え木に手を置き、いやされるようにと命じました。 信仰の賜物が彼女に下り、彼女はいやされたという確信を持っており、その夜家に帰るとすぐに風呂場でギブスを水に溶かして外しました。 次の夜、彼女はあかしのために集会に戻ってきましたが、何とすばらしいあかしだったことでしょうか。 言葉ではなく行動で示しました。 自らが完全にいやされていることを見せるために、力強くステージで飛び上がりました。 私たちは信仰の賜物を働かせませんでしたが、彼女は働かせました。
しかし一方、その翌日、デンバーでの集会の前、13歳の少女が松葉杖をついて講壇のところにやって来ました。 私が彼女を見たとき、突然 信仰の賜物が働き始め、ちょうど前の夜に起こったことを 思い出しました。 どうしてかはわかりませんでしたが、彼女がいやされることがわかりました。 私は彼女に、集会の前にいやされたいか、後にいやされたいかを聞きました。
彼女は最初は集会が終わるまで待ちたい と言いましたが、その後で、「いいえ、集会の前にいやされたいのです。」と言いました。
私は、ただ私の手を その足や くるぶしの上を走らせ、「主イエスの御名によって、骨よ、いやされよ。」と命じました。
私が骨に、直接話したのに注目してください。 信仰の賜物のために(私の)霊は飛び跳ねており、私は、「神様が成してくださったことを、テストしてください。」と言いました。
彼女はとても用心深く足踏みし、非常に驚いた表情をしました。 彼女は少しずつ強く足踏みし、だんだん強く踏み、まもなく喜びで泣き始めました。
その朝、そして夜も、彼女は皆の前でステージに上り、主の前に踊り、その力あるわざをほめたたえました。
私が驚いたと思いますか。 いいえ、それは信仰の賜物が働いていたので、私は何の疑いもなしに 彼女はそのように振る舞うとわかっていました。 けれども私たちは 神様が奇跡を行なってくださると、いつも興奮するのです。
よく似た実例ですが、私がシティー・オブ・ライト・クリスチャンセンターの礼拝で 話していたとき、私に 神様の油注ぎが力強く下りました。 フランシスは信仰の賜物をいただき、前に走って行きました。 彼女は、「チャールズ、いやしが必要な人々は全員前に来るように言ってください。」と言いました。 私は霊の中で、私が触れる人は誰でもいやされることが 分りました。 最初の人は医者でさえ診断できなかった ひどい ひざの痛みをもっていたカリフォルニアから来た婦人でした。 彼女はどうすることもできないと思い 失望していました。 私は、信仰の賜物に満たされていたので、ただ彼女のひざに触っただけで、彼女は松葉杖を高く放り投げて 走り始めました。 痛みから解放されたのです。 次の人は前日に 足とくるぶしとを複雑骨折した12歳の少女でした。 集会の前に 彼女の母親は、足に少しの力が加わっても 娘は我慢できなくて泣いてしまいます、と話してくれました。 痛み止めを飲んでもひどい痛みがありました。 私は 松葉杖をついている彼女の足に触り、「イエスの御名によって、いやされよ。」と言いました。 それで私は 彼女がいやされたことが分りました。 なぜでしょうか。 それは人々にみことばを語ったとき後、信仰の賜物が私たちに下っていたからです。 その少女は
足を降ろすのを少し躊躇していましたが、とても注意深くカーペットに触れました。
驚きの表情が顔に現われました。 そして彼女は少しずつ強く踏むようになり、ついに「お母さん、もう痛くないわ。」と言うと、母親はすぐにギブスを取り外し、その少女は走り始めました。
彼女は丸いドームの会場を完全に一周し、その夜、テニスシューズを履いて戻ってきて、みんなと同じように遊んでいました。
その子の母親が夜の集会に来ました。 それはいやされてから家に帰ると、お父さんはとても怒り、「あのペンテコステの人々はおまえたちを騙しているんだ。
いやされてなんかいない。」と言っていました。 その結果、父親は医者の所へ行き、診察してもらうよう強要し、それで母親はどうして良いかわからなかったのです。
彼女は「もし医者に娘を連れて行ったら 信仰が足りないのではないですか。」と聞きました。
フランシスは、「ご主人はあなたも私も信じていないけれども、医者を信じるでしょう。
連れて行ってください。 神様のいやしは 医者の診察を受けても問題はありません。」と言いました。
翌朝 母親は、その少女を医者に連れて行きました。 少女はとても興奮して、医者に、「先生、昨日
イエス様が教会でいやしてくれました。」と言いました。 医者は「まあ調べてみましょう。」と言い、レントゲンを撮り
よく調べてから、「あなたの言ったとおりですね。 奇跡を体験したのですね!」と言いました。
後で、あの救われていない父親は、彼の姉に 「昨日 何が起こったか知っているかい。
神様は教会で娘の足をいやしてくださったんだよ。」と言ったのです。
イエス様は、人々が彼を神の子と信じ、永遠のいのちに至る ただ一つの道であることを
信じるために、いやされたのです。 栄光あれ!
いつも「信仰の賜物」に注意してください。 神様の栄光が下り始めたら、あなたもそこにいるためです。 ペテロとヨハネがある日、宮に入ったとき、信仰の賜物が彼らに下りました。 その男は、イエス様が以前宮に行ったときも、物乞いをしていたでしょう。 ペテロとヨハネにとって、「イエス様はこの人をいやさなかったのに 何故 私たちがしなければならないのか。」とすぐに考えることができたでしょう。 しかし そう考えなかったのです。 なぜでしょうか。 それは、信仰の賜物が彼らに下り、何の疑いもなく、ペテロはヨハネと共に 彼をじっと見つめ、
「ペテロとヨハネとは彼をじっと見て、『私たちを見なさい。』と言った。 彼は何かもらえると期待して、二人に注目していると、 ペテロが言った。『銀貨や金貨を、私は持ち合わせていません。 しかし、あなたに与えるものを、今持っています。 ナザレ人イエス・キリストの名によって、立ち上がって、歩きなさい。』」 (使徒3:4−6)
これは信仰の賜物の働きの 良い例です。 同じことがあなたにも起こります。
目を覚ましていてください。
信仰の賜物が下るためには、教会にいる必要はありません。 ある日の昼食の時、集会を開いていた会場に、私たち3人は残っていました。 私たちは一組のカップルが一人の少女を乗せた小さな車椅子を押して入ってくるのを見ました。 その時、信仰の賜物が同時に私たち二人に下りました。 私たちは直接彼らに近づき、どこが悪いか聞きました。 彼らはその子供が筋肉をだめにする病気にかかり、すでに両足を動かす事ができず、腕にも始まっていると言いました。 彼らの友人は前夜の集会に出席していて、イエス様が病人をいやしているのを見たのです。 彼女は彼らに電話をかけ、「ベリンダを連れて行きなさい。 必ずいやされますよ。」と言いました。 彼らの信仰に火が付き、60キロメートル離れているけれども、集会に出席すれば娘はいやされると 突然信じました。 私たちは子供に、「神様があなたをいやしてくださると 信じますか。」と聞くと、何の疑いもなく、すぐに彼女は「私は神様を信じています。」と言いました。 私たちは、「それでは、イエスの御名により、立ち上がり、歩きなさい。」と言うと、彼女はロケットのように車椅子から飛び出し、うつぶせに床に倒れました。 私たちの信仰も彼女と共に倒れたと思いますか。 そうではありません。 なぜでしょうか。 それは神様が 信仰の賜物を私たちに下さったからです。 私たちは 床から彼女を抱え上げ、立たせ、「イエスの名によって、歩きなさい。」と言いました。 彼女はワンステップ歩き、倒れませんでした。 彼女はもう一歩歩き、倒れませんでした。 すぐに彼女はどこへでも歩き始めました。 両親は、彼女がもう車椅子を見ないように、車椅子を自動車に運びました。 その日の午後、彼女はイエス様に向かって
踊りました。
・・・ このいやしについてとても面白い後日談がありました。
5年前に、アルバカーキーのキリスト教書店の奥さんが集会に来ました。
彼女は ベリンダと同じ病気にかかっていたのです。 松葉杖をついて、その足はあたかも骨がないかのようにぶら下がっていました。
ちょうどゴム人形の足のようでした。 ボビーはその集会に一番早く来て、一番前の席の真中に座っていました。
彼女が入ってきたとき、「あなたが祈ってくだされば、私は必ずいやされます。」と言いました。
私たちが集会の準備をしている間、彼女は興奮して「今夜私は 必ずいやされます。」と言い続けていました。 彼女は松葉杖をついていましたが、私たちが祈ったとき、神様の力に倒されました。 彼女は、「フランシスが松葉杖を放り投げて、『もうあなたにはこれは必要ありません。』と言いました。」と話してくれました。 私たちが憶えているのは、彼女が床でゴムのような足を動かして立ち上がろうと 哀れにもがいている姿でした。 ついに彼女は立ち上がり、歩いてはいるのですが、いやされたようには見えませんでした。 しかし、私たちは、肉の目ではなく、信仰の目で見ました。
彼女はいやされたことを話すために、集会に来ることになっていました。
彼女はそこに自らと同じ病気だった小さな少女ベリンダがいることは知りませんでした。 (ベリンダが踊って見せたその会場で、)彼女は、「私ができなかったただ一つのことは、踊ることです。」と言うと、チャールズは、「さあ、一緒に今踊りましょう。」と言いました。
そして彼女とチャールズは、主の前に踊り、私たち全員が 彼女のいやしのゆえに神様を賛美し、礼拝していました。
多くの人々は、神様のいやしは長く続くのか と疑問に思っています。 もちろん 続きます。 今日、ボビーは 完全に歩いています。 今、信仰の賜物がなくても、いやしは必要な時があります。
そのすばらしい、聖なる時がおとずれ、神様が、文字通り 信仰の賜物をあなたに下した時、何の疑いも持たずに、すぐ行動してください。
信仰の賜物が真に与えられたとき、あなたは人間の限界を出て、全能なる神様の次元へと 入っていくのです。
「神が言われる言葉には、何一つ不可能はありません。」 (ルカ1:37)
「 ・・・ もし、からし種一粒ほどの信仰を持っているならば、この山に向かって、『ここからあそこに移動せよ。』と言えば、移動するでしょう。 あなたがたに不可能な事は、何もありません。」 (マタイ17:20)
第17章 創造的奇跡 チャールズ著
神様は創造的奇跡を行なわれます。 神様は、存在しないものから、目に見える物を 創造できるのです。
「『光よ。 あれ。』と仰せられた。 すると 光があった。」 (創世記1:3)
「それで 神は、海の巨獣と ・・・・ すべての生き物を創造された。」 (創世記1:21)
神様は イエス様を通して、私たちの中に ご自身のすべての力を与えてくださり、私たちを通して 神様と同じ力で、欠けた身体の部分を 創造してくださるのです。 自動車や電気製品を買う場合、故障した場合の部品のことを考える必要があります。 神様は 自動車の製造者が自動車のことを大切にするよりも、私たちを愛し 気にかけてくださっているのです。 ですから神様は、私たちの身体の欠けた部分や 使いつくした部分を、交換できるようにしてくださっているのです。 あなたもイエス様の御名を用いて、神様の力で、欠けた部分に 新しい創造を命じることができるのです。 聖書には 、神様は、
「『私は、あなた(アブラハム)をあらかじめ定めて多くの国民の父とした。』と書いてある通りです。 彼(アブラハム)はこの神たる方、すなわち、死人たちを生かし、存在していないものを、存在しているとして呼び出される方を、信じたのです。」 (ローマ4:17)
フランシスと私が聖霊のバプテスマを受けて間もなく、私はリビングバイブルを読んでいました。 聖霊は、みことばを 私に、生きたものとして与えてくださいました。
「イエスはそこを去って、ガリラヤ湖の沿岸に行き、それから山に登ってそこに座られた。 すると大ぜいの群衆が、足が不自由な人々、盲人たち、聾唖(ろうあ)の人々、障がいを持つ人々など、その他多くの人々を連れて来て、イエスの足もとに置いたので、彼らをおいやしになった。 群衆は、口のきけなかった人が物を言い、障がいを持つ人たちが健全になり、足が不自由だった人が歩き回り、そして盲人が見えるようになったのを見て驚いた。 そしてイスラエルの神をほめたたえた。」
(マタイ15:29−31)
私はこの物語を読んだ後、会計士の事務所に行きましたが、どうしてもこれを忘れることはできませんでした。 私はフランシスに電話をかけ、「神様は私たちの働きの中で、創造的奇跡を行なってくださるよ。 無くなった手足などを伸ばしてくださるよ。 義足の足に本当の足が生えるようになるよ。」 私の信仰は、話している間に 実際に体験しているかのように燃え始めました。 一、二か月して、私たちは フロリダ州の カリスマ的ではない教会に招かれました。 牧師は 午後9時より遅くなると皆帰ってしまうので それまでに集会を終わらせなければなりません、と言いました。 神様はご自身の驚くべき力を現わし始め、11時頃、神の栄光が14歳の少年に下りました。 私たちは、「イエス様に 何をしてもらいたいのですか。」と聞きました。 彼は手を突き出し、見ると親指がありませんでした。 第1関節で切れており、彼は神様に 新しい親指を伸ばしてほしい と言ったのです。 ハレルヤ! 私たちは本当に興奮しました。 ちょうどそのみことばを発見した後で、神様は私たちに 欠けている部分を現実に造り出すために、実行に移すチャンスを与えてくださったのです。この時までに 神様が起こされているすばらしい奇跡の一つ一つを見て、会衆は非常に興奮していました。
誰も座ってはいませんでした。 椅子の上に立っているだけでなく、何人かは背もたれにも立って
前にいる人の肩につかまって 見ていました。 私たちは 信仰の賜物が何であるかさえ知りませんでしたが、新しく身体の一部を創造することについて、神様が言われたことがわかったのです。
私たちは両手を前に出させ、その違いが分かるようにしました。 そしてイエスの御名により 親指が伸びるように 命じ始めました。 私たちはほとんど 「伸びろ、伸びろ」と叫んでいました。 突然、その指が伸び始めました。 指の先が もう一方の指に沿って、ゆっくり伸びているのを 見ることができました。
人々は叫んでいました。 私たちもそうでした。 それは神様が、初めの(天地)創造と 同じわざを、再びそこで成していたからです。 数分か、おそらく1分間の間に、親指は完全に伸びて もう一方と同じ長さになりました。 関節は正常ですが、爪は付いていませんでした。 私たちは期待しながら、「爪を神様にお願いしましょう。」と言いました。
ハレルヤ。 願っても何も悪くはありません。 神様はそのような創造的働きをしているのです。
約75人が見ている前で、私たちはイエスの御名により、親指の爪に伸びるように命じ始めました。
そして伸びたのです。 私たちはゆっくり伸びているのを見ました。 しかし驚いたことに
それは指先を超えて伸び続けたのです。 指の端まで延び、鳥の爪のように前の方に曲がってきました。
その周りには、柔らかい青い光が漂っていました。 私たち全員は 新しく創造された爪の伸び方について話しました。
そしてじっと数分間にわたり見ていました。
良い知らせは速く伝わります。 翌朝みんなは その少年が教会に来るのを待っていて、神様の成されたことを見てとても興奮していました。 その少年の 新しい親指は完全でしたが、爪は全くありませんでした。 爪の生える場所があっただけでした。 私たちはいったい何が起こったのか理解できませんでした。 なぜなら多くの人々が 新しい親指の爪を見たからです。 それを考えているうちに、私たちは 青い光が人やその場所にあった場合は、神様からの幻であって、霊の目では見ることができるが、実際の目では見えない ということを思い出しました。 私たちは あれは神様からの幻であったのだろうと考えるようになりました。 約75人が霊の目で同じものを見たのです。 (・・・ 爪がない方が神様の奇跡のあかしなる?)
この直後のある夜、私たちが孫の家にいたとき、彼が近くの小さな少年を連れてきました。 その少年は一方の足のサイズが もう一方よりも1センチ短かったのです。 私たちは 伸びるように命じましたが、何も変化はありませんでした。 しかし翌朝その少年は、「両方の足は、同じ長さで、同じ大きさだ。」と叫びながら走って来ました。 その足の長さは普通の足の約半分くらいしかなかったのですが、夜のうちに伸びて 普通の長さになったのです。 ( ・・・ 脚の長さと 足先のサイズ の両方とも正常になるまで伸びたこと)
数年前、ウィスコンシン州で、歯が互いに重なって突き出ている 13歳の少女が、大きな奇跡を期待しながら いやしの集会に来ました。 歯はひどい歯石でおおわれ 歯茎は柔らかく 血が流れていました。 その歯を矯正する歯列矯正医の治療代はとても高くて、家族には十分治療する余裕はありませんでした。 私たちが神様を礼拝し、イエス様に賛美をしている間、その少女はお母さんを見て叫びながら、「お母さん、私の歯が動いている。」と言いました。 彼女のお母さんはとても興奮して見ようともせずに「早く前に行きなさい。」と言いました。 その少女は前に走って来ましたが、神様の栄光はとても強く、ステージに上がる前に神様の力に倒されてしまいました。 そして約30分間 床に寝ていました。
彼女が起き上がり、フランシスが歯を見ると、トウモロコシの実のように完全にそろって並んでいました。
私には神様が天国の真珠で 新しい歯を創造してくださったように見えました。
完全に並んでいて、歯茎も美しく 健康的でした。 目にしていることはほとんど信じられないくらいでした。
私たちは、歯科医の方がいるか聞きますと、4時間も運転してやって来た若い男性が
私たちのところへ駆け上がってきました。 彼が彼女の歯を見て、「私はこれまで
こんなに完全で美しい歯を 見たことがありません。」と言いました。
神様はもう一度、創造的奇跡を行なわれたのです。 ちょうど、創世記1:25
に記されているように、種類に従って、野の獣、家畜、地のすべての這うもの(爬虫類)を造られたのち、
「神は見て、それをよしとされた。」
とあります。
「知識の言葉」を体験することは、いつもすばらしいことです。 創造的奇跡を伴った場合は、特にすばらしいです。 ある夜のいやしの集会で、私は 顔と 歯茎に、歯医者でちょうど痛み止めのノバシンを打ったように、感じました。 これは、歯の悪い人がいやされている という、神様からの知らせであることに気づきました。 私がこのことを会衆に報告すると、5人の方々が前に来ました。
その中の2人の虫歯の穴が埋められ、2人が歯槽膿漏からいやされました。 そして5番目の方は、その日歯医者に行き、ノバシンで痛み止めを打ち、歯を2本埋め、翌日には3本埋める予定になっている
と言いました。 神様はすでにその3本を埋めてくださり、いやな感じが顔から去りました。
不可能なことを今日も成してくださる神様に、栄光を帰します。 ― 群衆のために、創造的奇跡を。
その同じ旅行の間、フランシスの歯の被せが取れました。 私にそれを見せ、私はよく見て ごみ箱に捨ててしまいました。 家に帰り、フランシスは歯医者に治療に行きました。 車を駐車している間、彼女は「神様あなたは 他の人々の歯を埋めてくださいました。 それなのにどうして私自身の歯を埋めてもらうのに、このように時間を無駄に使わなければいけないのですか。」と聞きました。 歯科技工士がフランシスを椅子に座らせ、「どこが悪いのですか。」と聞き、フランシスは、「この被せが取れたのです。」と言いました。 技工士はよく調べて、「どの歯ですか。」と聞きました。 フランシスはまた その歯を教えましたが、技工士はどの歯から被せが外れたのか わかりませんでした。 歯科医を呼び同じことを繰り返しました。 そして何も悪い所を見出せなかったのです。 神様は大きな愛に満ちた方で、驚くことを成されます。 どんなに私たちは感謝したらよいでしょうか。
オーストラリア訪問の時、あるテレビ局が私たちの集会を放送しました。
まず最初に彼らが知りたかったことは、「奇跡とは何か」ということでした。
彼らは一度も 神様が奇跡を行なうのを見たことがなかったからです。 彼らはクリスチャンではありませんでしたが、これから起こることに興奮していました。
私たちが見ることもできない、また写真を撮ることもできない 多くのいやしがありますが、ある奇跡は
起こっていることがらを見ることができます。 私たちは、いやしの前でも、途中でも、後でも、自由に個人的にインタビューするように、また
奇跡が起こった時は写真を撮ってくださるように、言いました。
「イエスは彼らの考えを知っておられたが、その手のなえた人に、『起きて、真中に立ちなさい。』と言われると、起き上がって立った。」
(ルカ6:8)
イエス様は、存在しなかったものを、実際あるものとして 呼び出しました。
そしていやしが行なわれる前でさえ、彼らにそのことを言いました。
オーストラリアのいやしの集会は進んでいきました。 カメラが回っていました。
私たちはみんなに腕の長さを測ってもらい、腕の長さがはっきり違うのがステージから見せてわかる数人を、会衆の中から係の人に選んでもらいました。
最初の方は 単に長さを調節するだけですぐにできました。
次の方は婦人で、左の腕が 他方よりも5センチも短い方でした。 私たちは何が原因か聞きましたが、彼女は「医者が5センチほど骨を取りました。」と答えたので
とても驚きました。 国営テレビの放送中に、私は神様を見上げ、「神様どうぞ
この方のために、共にいて働いてください。」と言いました。 神様が共にいて働いてくださらなければ
奇跡は起こりません。 しかし、神様は、ご自身が真実な(=語ったことを必ず成し遂げる)お方で、ご自身の力を人々に示し、生ける神であることを人々に信じてもらいたいのです。 私たちがその腕に伸びるよう命令すると、その通りになりました。 神様はすべてのオーストラリアの人々が テレビで見ることができるように、ちょうど良いスピードにしてくださったのです。 神様は、5センチの骨、骨髄、神経組織、細胞、筋肉、その他必要なものを、5センチ伸ばすために付け加えてくださいました。
私たちがイエスの御名で命じたとき、神様は創造的奇跡を行なってくださったのです。
もし、この創造的奇跡が、2000年前の会堂(シナゴーグ)で行なわれたのであったなら、それは
ルカ6:8や、他のエキサイティングな聖書のみことばと並んで、記されたことでしょう。
ヒューストンで、木曜日のある夜、私たちは一人の婦人のために 新しい部分が創造されるように命じました。 そしてちょうど一か月たって、彼女は戻って来て、私たちが祈った次の月曜日に手術へ行くと、医者からとても興味深い診察が下されたというのです。 医者は、「あなたに手術は必要ありません。 新しい子宮ができています。」と言いました。 もし神様が 星を特定の場所に置くことができるとすれば、ご自身の子供の一人に
新しい子宮を備えることができるのです。
ある夜、オレゴン州で、7年前に一方の肺を手術で取り去った男性が来ました。 私たちは彼に手を置いて、新しい肺ができ、普通に呼吸できるように 命じました。 翌日彼は、興奮して、悪かった肺にも、もう一方の肺と同じように 容易に空気が満たされている、と言いました。 私たちはその後、数回彼と話しましたが、彼は完全な2つの肺で呼吸することは本当にすばらしい、ハレルヤ!と言いました。
ある夜、聖霊は、私たちに 神様の力で倒れたのを見たことがない人が 何人いるかを聞くように、語られました。 半数以上の人がまだ見たことがなかったのです。 そこで私たちは、神様に触れてもらいたい20人に 前に来るように言いました。 私たちは集会の初めに ある人のために祈ったところ、その人は神様の力に倒され、会衆全体が驚きのため息をついたため、このような質問をするよう導かれたと感じたのです。 ですから私たちは、この会衆の多くは 神様の力に倒されるのを見たことがなかったのを知りました。 会衆の半分が立ち上がりましたが、私たちは驚きませんでした。 あまり会場が広くなかったので、20人を会衆の前にずっと横に並んでもらい、私たちは一人ずつ優しく額に触れて、「イエス様、触れてください。」と言いました。 全員が後ろの方に倒れ、とても驚くべきことが起こりました。 普通は人々はすぐに立ち上がるのですが、皓の時には全員が横になったままでした。 彼らは一晩中横になっているように見えたので、私たちはついに賛美し、神様をほめたたえ始めました。 突然 横に寝ている一人の若い婦人が 陽気に笑い始めました。 両手を自分の口に当てて止めようとしたのですが、止めることができませんでした。 するとその隣の立派なビジネスマンが 全く同じことを始めました。 彼は最初手を口に当てましたが、まもなく 金切り声を上げなから笑い始めました。 全く止めることができなかったのです。 そして次々と、床に倒れている人々が同じことを始め、ついには会衆全体が同じことを始めたのです。 とても陽気に笑い、「聖なる笑い」が波のように全会衆に あとからあとから押し寄せてきました。
ついに、床に倒れていた最初の婦人が立ち上がり、まだ笑いながら 他の婦人のところに走り寄り 肩を叩き始めました。 彼女が怒っていないのはわかりましたが 一体何をしているのか理解できませんでした。 そしてついに彼女を静かにさせました。 彼女は自分は来たくなかったのに、おばに強いられて連れて来られた と言いました。 彼女の片腕は不治の病のために萎えていて、その腕を上げることさえできなかったのです。 彼女は看護師でした。 この腕のために もう働くこともできなかったのです。 彼女はおばに 自分がいやされたことを示そうと 叩いたのでした。 あまりにも笑っていたため、話すこともできない状態でした。
皆がまだ笑っている間、神様の力に倒された時、メガネが落ちて壊れた妻に、「お前、目がいやされているよ。 もう斜視じゃないよ。」と一人の男性が言いました。 16歳の少女がこれを全部見て、笑っている間に、彼女の足が動くのを感じました。 この少女の足は大きさが違うために いつも2足の靴を買わなければならなかったのです。 そして自分の目の前で、小さいほうの足が もう一方の足と同じ大きさになったのでした。 ハレルヤ! しかし、翌朝、最も驚くべきことがありました。 本が並べてあるテーブルで奉仕していた婦人が、聖なる笑いの間に、神様が、手術によって取り除いた胸を治してくださった という事を報告したことでした。 ハレルヤ!
このことが起こってすぐに、私たちはこのことを、レスター・サムラル博士に話していました。 「私たちは 聖なる笑いの中に、力があるなんて知りませんでした。」と言うと、彼は「何でも、聖なるものの中には、力があります。」と言いました。 何が起こったのでしょうか。 どういう方法を用いて 神様は、あの栄光に満ちた多くの人々を いやされたのでしょうか。 「知識の言葉」によって、私たちは彼らに 前に来てもらいました。 聖霊によって、聖なる笑いは
いやしの薬として与えられたのです。 「いやしの賜物」が働いていました。 私たちは彼らに手を触れました。
聖霊の聖い臨在が、いやしの力をもたらしたのです。 神様が超自然的に、ご自身の力を流し始めたとき、人々に信仰の火が点火されたのです。
このような状況のもとで、どのように病人のいやしを行なうのでしょうか。 ただ私たちが言うことができるのは、聖霊が働いているときは、聖霊に合わせて働きなさい、ということです。
フランシス著
最もすばらしいいやしは、私たち自身に起こるものだと思います。 そして私とあなたとは違ってはいません。 神様が私に成してくださったある意味での創造的奇跡について、話しましょう。
7年位前、私はどうしても大きないやしが必要でした。 私は、肥大心臓で
穴がありました。 私の血圧は、薬を飲んだ後でも225/140でした。 私は痛みをよく我慢する事ができ、そのため
病気になっても自分で病気だとは気づかないのです。 私は完全に、神様と いやしの力を
信じており、その夜時々襲ってくる悪い症状に気づかずにいました。 何度 血圧が高くなりすぎて、頭痛を起こし
頭が爆発するのではないかと思ったかわかりませんが、それでも私はどこかが悪いと考えたことはありませんでした。
私はチャールズに、「チャールズ、とても頭が痛いのです。 今まで頭痛になったことがなかったのを、知っているでしょう。」と言いました。
それからある日、チャールズは私に答えて言いました。 「あなたはそのことを何度言ったか知っていますか。」
ボブとジョアンが結婚する週に、悪魔は私に攻撃してきました。 私は耐えることのできない痛みで、ベッドに横たわっていました。 私の頭は割れるような痛みがありました。 ベッドに横になって48時間経って、チャールズは悪魔に対して本当に怒りました。 彼はベッドの上に飛び上がり、私はチャールズがあんなに権威をもって話したのを、聞いたことがありませんでした。 悪魔をどなりつけたのです。 神様は彼に、私の心臓に権威を行使するように 語りました。 神様がチャールズに語ると、彼は大きな力と信仰をもって それを実行します。
血圧を測ってもらっている間、チャールズは権威をも語り、このように言いました。
「悪魔よ、私の家内から手を引け。 心臓よ、普通の大きさになれ。 主イエスの御名により、お前の権威と支配を取る。
血圧よ、普通に戻れ。 主イエスの御名により、心臓の穴よ、今いやされよ。 イエスの御名によって。」
チャールズは、愛する者を攻撃している敵、悪魔を憎み、命じていたのです。
そして真剣に信じていたのです。 彼はただ単に、言葉を話していたのではありませんでした。
神様は超自然的な奇跡を行なってくださったのです。 神様は私の血圧を12分間の間に
140/80 にまで下げてくださり、今日までそれを保っているのです。 私のあの恐ろしいほどの頭痛は完全になくなり、それ以来一度も頭痛はありません。 しかし最もすばらしいことは、その後のレントゲンを撮ったときには、もう心臓に穴がなくなっているだけではなく、その心臓も大きくありませんでした。
医者は、いやされる前と 後の レントゲン写真を見せてくださり、「フランシスさん、あなたの心臓は16歳の少女のものです。」と言いました。
チャールズはとても強い人ですが、優しく、柔和な人です。 その夜彼はベッドの上で飛び上がり、私の心臓を指さしながら大声で叫んだときは
とても恐く、いやされないのではないか と思ったほどです。 その夜のように、チャールズが野生のトラのように大胆になったのを
見たことはありませんが、「信仰の賜物」が本当に彼に下ったので、神様は創造的奇跡を行なってくださったのです。
どれだけ大声で叫ぶかではなく、心で信じて、権威をもって話すことが大切です。 これがイエス様が言われた方法だったのです。
この新しい心臓のために、長年にわたり主の働きを続けることができたので、心から神様を賛美し、栄光を帰します。
これらの実例と みことばを もう一度振り返り、創造的奇跡を行なうための「いやしの秘訣」を見ましょう。
神様に、単純に新しい身体の部分を創造してくださるよう祈り、その通りになる時があります。 私たちはどのような形であれ、神様を制限しません。 それは神様が何百回もいろいろな異なった独特の方法で、いやしを行なってこられたからです。 そして、私たちは神様が成されることが、どんなに簡単であるかを見て 驚くばかりです。 イエス様も弟子たちもこれをしました。 これらのいくつかの例でもわかる通り、フランシスもチャールズもしました。
あなたもできます。 私たちが身体の中にある部分が 新しく創造されるように命じると、突然
以前無かったものが現われることがあります。
「信仰によって、この世界が神の語る言葉によって造られ、見えるものは、現れているものから出たのではないことを、私たちは悟るのです。」
(ヘブル11:3)
一般的に私たちは祈る方々に 手を触れて祈ります。 ほとんどの場合神様の力で倒されます。 ちょうど神様が物を無から呼び出したように、わたしたちも同じ事ができます。 それは神様が聖霊の力によって 私たちの中に住んでおられるからです。 わたしたちには実際に用いることができる神様の力と、イエス様の権威が あることを、信じなければなりません。 私たちは父のみこころを行なっており、神様を喜ばせ、神様の栄光のためにしていることを 信じなければなりません。 私たちは、霊の「水の上を 喜んで歩き」、他の人がどのように思うかなどと気にしないようにしなければなりません。 私たちはみことばが、「他の人々も行った」と宣言していることを、行動に移さなければなりません。
「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしを信じる者は、わたしの行なっているわざを行ない、さらに、もっと大きなわざを行ないます。わたしが父のみもとに行くからです。 また、あなたがたが、わたしの名によって求めることは、何でも、わたしはそれをしましょう。 父が子によって栄光を受けられるためです。」 (ヨハネ14:12、13)
というみことばを信じなければなりません。 奇跡を行なおうとしているとき、私たちは神様への信頼を 揺るがしてはなりません。 あなたが どんなに、神様が成されていること知らなくても、聖霊がわざを行なっているときには、素早く行動しなさい。
聖霊の多くの賜物を、組み合わせて用いなさい。 なぜなら、これらは神様があなたに、超自然のわざを行なわせるための、道具だからです。
「神を待ち望め。」 (詩篇42:11)
イエス様が道であり、真理であり、いのちであることを 示すために、これらのわざをする事により、神様とイエス様に栄光を帰す 良い機会を逃さないようにしましょう。 これにより、人々は神様に仕えたいと思うようになります。 大胆であってください。 権威をもって語り、愛をもって行なってください。
「愛を通して働く信仰だけが大切だからです。」 (ガラテヤ5:6)
自らがキリストの体であることを信じている者の生活を送ってください。 もしあなたが実際に、自分の身体に 聖霊が住んでおられることを信じるなら、イエス様はあなたの中に住まわれ、あなたはイエス様の力をいただいています。 イエス様を喜ばせるためにのみ、不可能なことを喜んですべきです。 他の人々がやった方法や祈りだけに いやしの方法を限定しないようにしてください。 イエス様はそうはしなかったのです。 すべての方法や行動は、イエス様自身から出てものでした。
存在していないものを、実在するように、呼び出しなさい。
第18章 腕と足を伸ばす フランシス著
病人をいやすには、普通の方法や、珍しい方法や、独特な方法等 多くあります。
神様は私たちに そのいくつかを教えてくださっているにすぎません。 私たちは決して
神様を制限したり、箱の中にいれたりはしません。 私たちがいやしを行ない、いやしについて教えるときは、いつも神様は新しい方法を私たちの知識として付け加え、いやされる人々の数が増えており、神様は絶えず私たちを驚かせます。
これはちょうど、自動車を改良しているようなものです。 車輪が発明されていなければ、自動車を発明することはとても難しかったでしょう。
すでに車輪が発明されていたので、エンジンと車輪を連結するだけでよかったのです。
いやしについても同様なことが言えます。 少し学び、すでに学んでいることに付け加えていくのです。
少しずつ学び、そして少しずつ知識を得ます。 いやしを行ない続ければ、もっといやしについて学ぶことになります。
いつ病人をいやすのでしょうか? そのように感じたときですか。 いいえ違います。 特別な油注ぎがある時でしょうか。 いいえ、そうではありません。 機会がある時に 手を置くのです。 あなたの務めが、説教であろうと、救いや聖霊のバプテスマについてであろうと、いやしであろうと、悪霊を追い出すことであろうと、聖霊の賜物を用いるときであろうと、何でも、神様があなたに与えてくださったそれらを
特定な時に用いることは、あなたの責任なのです。 もしあなたを通して神様に働いてもらえば、たとえ 成功するかどうか全くわからなくても、物事を行なう自由意志を持っていれば、ペテロがしたように舟から飛び出して 水の上を歩き始めなさい。 そうすれば神様は、その信仰の行為を認められ、すばらしいことをなさることに、あなたはとても驚くでしょう。
病人をいやすためには、文字通り 霊の水の上を歩くことを学ばなければなりません。
もしあなたが、進んで舟から出て行けば、イエス様がそこで待っているのです。
カリスマの世界では、手足を伸ばすことはとても一般的です。 そして世界中で、大きな集会でも小さな集会でも それが行なわれてきました。
この種の奇跡を私が初めて見たとき、正直に言えば 私は嫌いでした。 私はその伝道者が何かのトリックをしていると思いました。 たぶん私に最も影響したのは、会衆全員が 短い手か足を持っているかのように見えたことで、こんなことはあり得ないと思いました。 それから分かったことは、世界中の人々の80%が背中に問題を持っており、そしてこれが世界で一番大きな病気の一つだということです。
しかし、それから約1か月後に、神様はその同じ伝道者をヒューストンに導きました。 私たちが彼と同じステージに座っていたとき、8〜10センチも一方の腕が短い婦人が上がって来て、私が見ている前でその腕が伸びたのです。
もう私は疑いませんでした。
このことがあってすぐ後に、私たちは、ペンシルバニア州のハリスバーグ出身で
聖霊に満たされた整骨医ジャック・ハード博士に会ってから、私たちは手や足を伸ばすことによって
大きなすばらしいいやしの可能性があると考え始め、実験し始めました。 私たちは、「もしあの伝道者にできるなら、私たちにもできるはずだ。」と考えました。
初めに長い時間大声で叫び、祈りぬいて、少しずつ結果が現れるようになりました。
腕を伸ばすことは、単に目に見える肉体的な奇跡だけではなく、背中の問題をいやし 調整している、神様の方法でもありました。
ある夜、8人の方の背中がいやされました。 手や足が伸びたとき、人々は背中の痛みが無くなった、と私たちに言いました。
私たちは神様の成されていることに関心を持つようになり、この奇跡のすばらしたと
その効果に、もっと感謝するようになりました。
カウボーイのラルフ・マックレイ氏は 私たちのいやしの集会に初めて来たとき、3枚の椎間板が壊れていました。 私はバルコニーに座っている彼を指さし、「あなたの背中は、今 いやされました。」と言うと、すぐに彼は 聖霊の暖かい力が背中を下るのを感じ、完全にいやされたのです。 その時まで彼は馬に乗るためのコルセットを付けていましたが、それ以来一度も着けたたことはありません。 しかし他にとても興味深いことが起こりました。 集会後、彼はとても緊張して その夜は眠ることができなかったので、聖書を読み始めました。 彼は31年間使っていた眼鏡をかけたのですが、見ることができなかったのです。 とても驚いて、「神様あなたは私の背中をいやし、その代わりに目くらにするのですか。」と言いました。 彼は眼鏡をはずしレンズを磨こうとすると、眼鏡なしにはっきり見えるのに気がつきました。 神様は背中をいやした時に、目もいやされたのです。 神様は背中のいやしと、他のいやしとの関係を示してくださるまで、私たちは2つのいやしを関係づけませんでした。
背中の調整は、視神経をやわらげ、目の筋肉を調整し、視力を回復するのでしょうか。
ある夜、37年前に事故に遭った男性が、祈りを求めて来ました。 彼は背中をひどく痛めていました。
彼と一緒にいた人が、彼の片方の耳が全く聞こえないので 耳も祈ってもらうように、と言いました。チャールズは耳が聞こえない原因を聞くと、彼は「私が背中を痛めてから聞こえなくなりました。」と言いました。
普通チャールズは 耳に指を入れ、耳しいの霊に出てくるように命じ、「イエスの御名によって開け。」と言うのですが、彼がそれをしようとする前に、神様は、「足を伸ばしなさい。 そうすれば聞こえるようになります。」 と、はっきりと語られました。 知恵あるものを辱めるために、この世の愚かな者を選び、とありますが、聞こえない耳をいやすのに 足を伸ばすことなど、聞いたことはありませんでした。 チャールズは従順でした。
彼は、「座ってください。 神様は、足を伸ばせば 聞こえるようになる、と言われました。」と言いました。 彼には考える時間がなかったことを 感謝しています。 そうでないと おそらく 彼は、チャールズの頭がちょっとおかしいのではないか、と思ったことでしょう。 チャールズが足を測ると、一方は7センチ 短かったのです。 彼は背中がいやされるように命じ、筋肉、神経、腱が調整されるように命じると、足は伸びました。 足はすぐに普通の長さになり、チャールズは耳を検査しました。 彼は完全に聞こえたのです。 彼は教会中を走り回り、みんなに 聞こえなかった耳が聞こえるようになったと 言いました。 聞こえるようになりとてもうれしかったので、1時間ばかり、背中を検査することを忘れていました。 そして背中もいやされていたのです。 明らかに、背中の傷が、耳に通じる神経を挟んでおり、その結果耳しいになっていたのです。
これは私たちにとって、神様のいやしの分野に、新しい理解を与えてくれました。
一週間後に 一人の婦人が一方の耳が全く聞こえなくて、いやしを求めてきました。 彼女は 神経が死んでいる、と言いました。 チャールズは彼女の腕を調べ、一方が約2センチほど短かったため、あの男性と同じ命令をしました。 彼女の腕は伸び、そして彼女は すぐに完全に聞こえるようになりました。
背中の問題と 神経から来る耳しいとの間に、関係があることを発見してから、この同じ方法で
何百人もの人々がいやされました。
腕や足を伸ばすことは 私たちにとって とても当たり前の方法になってきたため、私たちはこの分野に属する多くのことを、見逃してきました。 神様はさらに私たちに、背中、筋肉、神経と関係した奇跡を示してくださるようになりました。
最近、私たちがワシントンにいたとき、一人の男性が カウボーイのラルフのところに、夜尿症の13歳の少年を連れてきました。 ラルフが祈り始めると、神様は彼に、「足を伸ばすと彼はいやされます。」と語られました。 これにはラルフはとてもショックでした。 しかし彼が最初考えていたいやしの祈りの代わりに、彼はその少年を椅子に座らせ
足を測ると、一方は約5センチ短いことがわかりました。 その足は伸びたのです。
このいやしについて考えてみてください。 これは膀胱か腎臓が圧迫されていたためであったと考えることができないでしょうか。
それから私たちは医者や整骨医と話したところ、夜尿症の原因になる と同意してくれました。
医学的知識がなくても、神経や筋肉は身体を正常に動かすことに使われるのは知っており、もし神経や筋肉が挟まれたり、縛り付けられたりしていると、身体が不自由になったり、動かなくなったりする原因になるそうです。
これが膀胱や腎臓も問題を作る原因になります。
私たちが医者や整骨医と話したのは資格がないので 医者となる方法を学ぶためでなく、また開業するつもりでもなく、いくつかの神様の方法で、背中、筋肉、神経などの
神様のいやしの方法について討論するためでした。 神様がご自身の特別な方法で
いやしを行なわれていることを話すと、整骨医はとても興奮しました。 彼は異常な背骨との関係について、専門家の立場からの発見を話してくれました。
その中の一つは、神経組織は、全部の内臓と、身体の構造を支配し、つかさどっている
ということでした。 そして異常な背骨や椎間板は、神経組織に悪い影響をもたらし、身体の構造や内臓に影響を与え、そして私たちが話している多くの悪い結果を生み出すようになるのです。
たとえば、彼は、背骨の上から2番目の脊椎骨番号2Cは、視神経、聴神経、鼻、舌、前頭部を支配しています。 全部の医者が賛成するかどうかはわかりませんが、神様が、背骨の上部でも、下部でも
調整されるなら、背中の多くの病気がいやされ、カウボーイのラルフのように
目がいやされ、他の多くのいやしが行なわれる ということに気づきました。 私たちは背骨を調整することにより、神様が成されていることと、整骨医や医者がすでに知っていることに
注目すべきです。
同じ整骨医は、私たちの集会で、背中を調節することによって外に現われていない多くの病気を前もって阻止していることに気づいたら驚くでしょう、と言いました。
はっきりしていることは、神様が、背中や筋肉や神経や その他を 調整しているときは、たとえ私たちがそのことに無知であっても、
ひどい間違いや失敗はしません。 それは私たちがしているのではなく、神様がしておられるからです。
チャールズ著
たぶんあなたは 腕や足が伸びるのを、一度も見たことがないでしょう。 もしそうでなければ、起こったとき本当にあなたが恵まれるでしょう。 最も心躍る奇跡は、神様の力が実際に身体の一部に働いているのを 目の当たりにすることでしょう。 そしてこれは、奇跡の中でもたぶん最も簡単で、一般的な奇跡の一つでしょう。 これは救われていない人々や、病人を、今日でもいやし続けている生ける神様の 現実について知るために、聖霊のバプテスマをまだ受けていない人々を納得させるのに、すばらしいものです。
自らの身体に試してみてください。 まっすぐに立ち、足の指が合うように足をそろえて、まっすぐ前を見てください。
あなたの手を約1センチくらい離して 手のひらを向かい合わせ、腕を曲げて身体の前に持ってきてから、できるだけ前に伸ばしてください。
手を伸ばしたまま 手を合わせ、指の端が見えるまで肘を曲げてください。 もし、両腕の長さが同じでなければ、長い方の腕の指はもう一方の指よりも突き出ます。
このようにして腕を伸ばす準備が整うのです。 もう一度両腕を前に伸ばして、強くではなく軽く合わせてください。
強く握らないようにしてください。
そして次のように言ってください。 「腕よ、主イエスの御名によって、伸びるよう命じる。 背骨よ、筋肉よ、神経よ、筋よ、腱よ、主イエスの御名により調整されよ。 天の父よ。 成されたことを感謝します。」と言い、しばらくの間、手が伸びるのを見つめながら、神様のみわざを見守ってください。 腕が同じ長さになるまで見てください。 そして、それを感じることでしょう。
それから、次に、誰か他の人にやってみてください。
足を伸ばす場合は、椅子にまっすぐに座ってもらい、足を前に伸ばさせてください。 普通、かかとを見るか、親指でくるぶしの骨を触ると、調整が必要かどうかが分かります。 手で足を軽く持ち上げ、背中にまっすぐになるように命じ、筋肉、神経、腱に 正常な位置に戻り、イエスの御名と 聖霊の力で、短い足に伸びるように 命じてください。 あなたが成すべきことを成す時、神様が栄光を受けられます。
一般的に、背中の上部か首の問題であれば、腕を調整する必要があり、背中の下部の問題であれば
足を調整する必要があります。 身体を曲げることにより 背中をチェックし、腕か足を伸ばしてもいやされなければ、時には
両腕と 両足を 調整しなければならないときもあります。
さああなたは、毎日 普通に イエス様のために奇跡を行なう人として、準備されました。 イエス様が主人で、あなたは みこころを行なうための しもべであることを、覚えていてください。 このようないやしを行なう神様の力を 体験することは、とても楽しくわくわくすることで、神様の力を現わす 効果的なあかしです。 神様が奇跡を行なってくださった後、その目的を忘れないようにしてください。 イエス様が 永遠のいのちへの道であることを、人々が信じるためです。 人々を救いなさい。 もし彼らが救われ、そして聖霊のバプテスマを教えるとき、またどういう目的であろうと、聖霊の導きにより、いつでも必要な時に
この聖霊の力を示し、その働きに用いてください。 イエス様は病人をいやすためだけに来られたのではない事を
覚えていてください。 イエス様は、人々が彼の御名を信じ、受け入れ、救われるために来られたのです。
ある夜、私たちは、学生伝道をしている若い伝道者と話をしていました。 彼は集会の部屋に入り、「みんながもし一つだけかなえてもらいたいなら、何を望みますか。」と聞くと、一人の若い黒人の生徒が飛び上がり、「両方の足を同じ長さにしてもらいたい。」と言いました。 彼は一方の足が15センチも短かったため 靴を高く作っていたのです。 この少し前に、この若い伝道者は、聖霊のバプテスマを受けたばかりでしたが、この学生を座らせ、命令すると、足は15センチ伸び 完全に同じ長さになりました。 その集会はとてもすばらしい救いの夜となったのです。 奇跡は、言葉だけではできないことも するのです。
もし、骨盤か その他の部分が 傷ついているならば、神様のいやしをもらうか、手術が必要でしょう。 しかし、医者や 整骨医で、背骨を調整することによって、普通の状態に回復することができます。 神様もこれをする事ができます。 そればかりか、同様にいやしを行なうことができ、完全な調整をする事ができるのです。 必要な時には 新しい部分を創造し、料金は全くかかりません。
そして 私たちが発見したことは、背骨を調整するだけでなく、神経、筋肉、腱、筋、軟骨を調整します。
医者はこれらをもっとわかりやすく解説するかもしれませんが、要するに、調整によって、各部分がそのあるべき位置に戻る
ことが必要だということです。
ある婦人は、顎(あご)の骨うまく入っていなくて、いつも噛むたびに痛みがありました。 ずいぶん長い間このような状態でした。
私は、骨に正常な位置に入るように命じ、神経、筋肉、骨に調整されるように命じました。
顎の骨が少し動き、痛みはなくなりました。 彼女は 長い間 痛み続けていた顎骨が
数秒のうちに治ったため、そのことを信じるとこができませんでした。 神様はすばらしい方です。
子供たちの噛みはずしのときなど、私たちは 顎と歯に正しい位置に戻るように命じると、顎は戻り、歯も噛み合います。
これはいつも成功したわけではありませんが、あらゆる方法を尽くして できる限り多くの人々がいやされるようにしています。
すべて神様の栄光のためであり、イエスの御名によるものです。
今まで一度もいやしの集会に出席したことのなかった 一人の若い婦人が私たちの集会に来て、その夜300〜400人もの人がいやされたのを見て、非常に驚きました。 集会後 私のところに来て、「私は いやされる人々を見て、そしていやしの力を持っている人々を見ましたが、そのほとんどが 眼鏡をかけているのです。 病人をいやす事ができるなら、なぜ眼鏡をかけているのですか。」と聞きました。 私は何と言って良いかわかりませんでしたが、後になって私は神様に なぜなのか尋ねました。 「激しい風のごとく」を書いたメル・タリ師が、私たちの家を訪ねてきました。 彼はどのようにして 深い川を渡って、対岸の人々に伝道するよう神様が語り、どのようにして 彼とチームが水の上を歩いたか、を話してくれました。 それはとてもすばらしいことでした。 ハレルヤ! 私は、「あなたは今でも あそこで水の上を歩いているのですか。」と聞くと、「いいえ、この7年間 歩いていません。」と言いました。 「なぜですか。」と聞くと、「上流に橋を架けたので、水の上を歩いて渡る必要がなくなったからです。」と言いました。
私はこれを、眼鏡と関連付けて考えました。 眼鏡があるからいやされる必要はありません。 とてもよく見えるのです。 私は遠視で、遠くはよく見えますが
本を読むとき字がぼやけているので、眼鏡をかけて本を読みます。 しかしどうして私はいやされないのでしょう。
たぶん、その大きな理由の一つは、あまりいやされる必要がないからです。 もし眼鏡が発明されていなければ
見ることはできませんから、真剣になるでしょう。 目に関してこれ以外の答えを知りません。
しかし、最近カナダで集会を開いたとき、眼科医が興奮してフランシスに一つの質問をしました。
その質問は、神様の目のいやしの数が 大いに増加するだろうと思われるものでした。
彼は、私たちが 腕や足を伸ばすことを聞き、背中を調整することにより神経性の耳しいをいやしているのを聞きました。
彼は、「どうして多くの人々が眼鏡をかけているかわかりますか。」と聞きました。
フランシスは、知っていると答えました。 「見るためです。」 彼は、「眼鏡をかけているほとんどの人は、目の筋肉の長さが違い
眼鏡でそれを調節しているのです。 もし神様が、超自然的に腕や足の長さを調整する事ができ、筋肉や背中の中に神経を調整することができれば、なぜ、目の筋肉にも同じ事ができないのでしょうか。」と言ったのです。
この言葉は、本当に私たちに 霊の啓示を与えてくれました。 ちょうどテレビの伝道から帰って来たばかりで、私たちはそのテレビの視聴者に
実験のために協力を呼びかけました。 私たちは彼らに、立って両腕を前に伸ばしてもらい、誰でも必要な人に 目の筋肉の長さが調整され、完全に見えるように祈り、命じました。 すぐに4本の電話がかかってきました。
一人は婦人で一方の目は完全に見えず、もう一方は10パーセントくらいしか見えなかったのですが、立って祈ってもらったとき、両方の目が見えるようになり、聖書を読む事ができるようになったというのです。
ある男性は、一方の目は完全に見えなくなっていましたが、祈りの間に見えるようになった
と言いました。 他の2人は そんなに劇的に目のいやしのついて報告してくれませんでしたが、多くの人々の目のいやしの鍵となるだろう
と言ってくれました。
私たちはカリフォルニアへ帰る途中の飛行機の中で、看護師と話をしていました。 私たちは背中や腕や足を伸ばす事について話すと、彼女はとても興味ある話をしました。 彼女の母親は 風邪をひきそうになった時、すぐに整骨医に行き 調整してもらうと、決して風邪をひかない と言いました。 私たちは、悪魔が忍び込み風邪を持ってくると、神様に、天的
整骨矯正をお願いするよう決めました。
もう一つの腕を伸ばすことに関する面白い話ですが、一人の歌手が のどの中にできた腫れ物のために祈ってもらいに来ました。 彼女の顔には 癌ではないかという不安と恐れがはっきりと出ていました。 私は手を置いて、腫瘍に 去るように命じました。 神様の静かな声が聞こえたとき、彼女の腕を調べると、やはり腕は同じ長さではなかったので、神様が教えてくださったとおりに、神経や筋肉に対し
和らぎ、正常に戻るように 命じました。 腕は伸びて同じ長さになり、私は、「ビッキー、腫瘍を調べてごらん。」と言いました。
腫瘍が消えているのを発見し、彼女はとても喜びました。
腕や足を伸ばすことによってもたらされる調整によって、神様がされる幾つかのいやしの話をしましょう。 私はある朝、肩の筋肉がつって 痛くて目が覚めました。 私は腕を前に伸ばし、リラックスするように命じました。 私の人生の中で最もすばらしい経験の一つでした。 それはちょうどイエス様の手が 筋肉に触り、ゆるめてくださったようです。 すぐに、つっていた筋肉は 柔らかくなりました。 私の肩に感じていた聖なる臨在は、「モーセの燃える柴」にも似たものだった と思います。 いつも私が背広を買うと、一方の肩がもう一方よりも低いため、ボタンは穴から約2センチもずれて
うまく合わなかったのです。 洋服屋に肩に置くパッドを作ってもらいましたが、もう一方の肩ほど心地よくありませんでした。
ある日私は、このような問題をいつまでも持ち続ける必要はないはずだ、と考えました。
神様は私にとって、とても個人的で現実的なお方なので、私はまっすぐに立ち、肩を伸ばし、調整されるよう命じました。
私は 新しい背広を買うまで忘れていましたが、新しい背広では ボタンは穴にぴったりと完全に合ったのです。
神様の人々に対する愛は、何と美しいことでしょうか。
ある夜、悪魔は私を床に倒し、私は気を失ってしまいました。 顔は床のカーペットに押されたままで気がつきました。
私は立ち上がりましたが、手と肘にひどい痛みがありました。 その痛みは2か月間も続き、特に
ちょっとでも肘を曲げれば 痛みが走りました。 ある日私は、友人の医者といたとき、このことについて聞きました。
彼はすぐに説明してくれました。 それはテニス肘と呼ばれ、痛み止めのコーチゾンを注射しましょうと言いました。
私は彼に感謝し、「もうわかりました。」と言い、自動車に戻り 前の席に座り、手を伸ばして
腱に向かって、まっすぐに正常になるように命じました。 するとその通りになりました。
それ以来、痛みは来ません。 医者は、私が倒れたとき、手と肘の間の腱が短縮された
と説明してくれました。 イエス様を、「偉大な医者」と呼んだのがよくわかります。
筋肉のけいれんが止まったこともあり、固くなった肘が普通に動くようになり、肩こりや首の筋肉が柔らかくなり、頭痛、腕の痛み、手や肩、その他身体の各部分がほぐされ、神様が 骨や筋肉や神経等も調整される時には、身体全体が矯正されるのを、私たちは見てきました。 その他あらゆるいやしと祝福は、神様からの賜物です。 神様の偉大な力は、各部分をあるべきところに調整します。 これは、すべて、イエス様の御名によるのです。
それは、神様は、伝道者や いやしの働きをしている説教者だけにではなく、キリストの体全体に ご自身のすばらしい力を示しておられ、多くの人々がいやしを受けるだけではなく、神様が私たちに価なしに与えてくださったように、周囲にいる人々にも価なしに与えるためです。 このいやしの方法により、私たちを通して 数知れない人々がいやされ、また、人々をいやすことを学んだ人々を通して
他の多くの人々がいやされてきました。 あなたのような人々を通して、世界中で何百万人の人々がいやされると、神様は語っておられると、私たちは霊の中で感じています。
実際に行なうまで、自分でできるかどうかわかりませんが、神様は再臨に備えて 「キリストの花嫁」を備えており、それをご自身の霊と力を通して、大いになされます。 私たちはあなたに、この終わりの日に すばらしい神様の働きの 生きた役割を果たしてもらいたいのです。 腕や足を伸ばす働きを 始めてください!
● 足を伸ばすための説明:
1) 背中がいやされているときに、外見は足が伸びます、と 病人に説明してください。
神様の力が働くとき、手の親指をよく見てください。
2) 病人を椅子にまっすぐに座らせて、腰を椅子の背に付けてください。
3) 心地よい状態で、まっすぐ前に足を出させてください。 激しい痛みがある場合、無理に足を動かさないように注意してください。
4) あなたの両指で 病人の両足を下から支えてください。 両親指の内側の先が
内側のくるぶしの頂点にくるように、正確に当ててください。 両親指を互いに平行にし、床に対して垂直にしてください。
第19章 世界中に出て行って ・・・ 病人をいやせ フランシス著
「私は、高い所にいたので、地球全体を見渡す事ができました。 私は、これらの人々が、地上を行ったり来たりしているのを見ていました。
突然、アフリカにいた人が神様の霊によって取り去られて、ソ連や中国やアメリカや
その他の所に行ったり、またその逆のことも起こりました。 これらの民は 世界中に出て行き、火や疫病や飢餓の中を通ってきました。
火も 迫害も、何も彼らを止めることはできないようでした。」
「彼らは、出て行って、キリストの 終わりの時の働きを、地上のすべての人々にもたらしました。
彼らが立ち上がって、この終わりの時の、来たるべき王国のメッセージをすると、何万、いや何百万という人々が
主イエス・キリストのもとに来ました。 それは、栄光にあふれていましたが、そこには反抗的な人もいて、怒って、このメッセージをしていた人々を
攻撃しようとしていました。」
20年前にこのすばらしい幻が与えられてから、世界中に福音を伝える多くの人々の中に 大胆に加わるにしたがって、今日、この幻が成就しつつあるのを 私たちは見ます。 1977年11月に、私は夢を見ました。 私は夢を見ないので、とても珍しかったのです。
夢の中で私は、1万2千メートルの飛行機の中にいました。 いつも私は飛行機で旅行しますので、別に変ったことではありません。
しかし、とても違っていたことは、扉が開いていて、私はひざを曲げ つま先が飛行機から半分出たまま立っていたのです。
私は、とても優しい声で、「飛び降りなさい。 わたしが支えてあげるから。」というのを聞きました。
私は下を見ました。 空から 1万2千メートルは とても高いです。 夢の中でも、寒気が背中を伝わりました。
神様からのものだとわかっていましたが、同時に、私は悪魔がイエス様を誘惑したことを思い出しました。
「それから悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の頂上に立たせて言った。「もしあなたが神の子であるなら、ここから下へ飛び降りてみなさい。 『神はあなたのために、御使いたちに命じてあなたを守らせるであろう。』とあり、・・・」
もう一度下を見ると、さらに高く感じました。 再びその声が、「飛び降りなさい。 私が支えてあげるから。 私を信頼していないのですか。」と言いました。 私は一晩中その飛行機のドアに立ち、何度も何度もその声が、「飛び降りなさい。 私を信頼していないのですか。 私を信頼していないのですか。」と言い続けているように感じました。 その声を聞くたびに、私はどれくらい高いかを見ました。 1万2千メートルは とても高いです。 しかし、私にはそれが神様の声であることは分かっていましたが、よく理解できませんでした。 突然、私は 結論を出しました。 それは私が「どんな違いが起こるだろうか。 それが、もし悪魔の声だったら、私は地上にたたきつけられても、すぐ天国に行く。
しかし、もし神様の声だったら、私は不従順で 神様はもう私に話をしてくれないかもしれない。」と思ったからです。
私は急に飛び降りなければならない、という考えに捕らわれ、未知の世界へと飛び降りました。
するとその瞬間、すぐに、私は地上にいました。 ジャンプしてから地上までは、全く時間がかからなかったのです。
落ちていくという感じは全くなく、ただジャンプして、すぐ地上にいたのです。
もう一度、私は 優しく静かな神様の声を聞きました。 「わかったでしょう。
私に信頼することができると言ったでしょう。」
神様は、私たちが、大きな前進をする事を 語ってくださったのです。 私たちの人生で今まで一度も体験したことのない
大きなステップです。 しかし、そのステップの向こうに、いつも私たちを受け止めてくれる神様がいるのです。
この夢を通して、神様はキリストの体全体に、大きなステップを踏み出し、以前に夢見たこともないことを成し、そこであなたを待っていると語っているのです。
神様は、あなたに 大きなステップを踏み出してもらいたいのです。 それは あなたに、悪魔を足の下に踏みつぶす すばらしい働きをしてもらいたいからです。 そしてそれは、一人の大きなステップだけでは起こりません。 それは、何百人、何千人、あるいは何百万人ものクリスチャンが、ステップを踏み出し、病人に手を置き、いやしを行なうことによって 実現するのです。
「これがその奇跡です。 ― 栄光ある奇跡です ― これらの人々は、主が成されたのと同じように、手を差し伸べました。
彼らの手には、あたかも同じ液体の火があるかのようでした。 彼らは、手を差し伸べて
言いました。 『私の言葉通りに、いやされなさい。』」
と。 20年前にこの言葉が語られました。 1976年に私が出版した 「不可能な奇跡」の中の
『幻は奇跡である』という章との類似点に注目してください。 5年前、私はこのことを信じていませんでしたが、今は信じています。
カナダのカルガリーでの、「カリスマ・クリスチャンの歩みセミナー」の最後の集会は、それまで体験したことのない
すばらしい力のある集会でした。 セミナーで教えていたために、信仰は最高潮に達していました。
その夜の主題は、結婚で、チャールズは 結婚の正直さについて話していました。
私は、力強い神様の力を感じて ほとんど倒れそうでした。 私は仕切り壁を握って、チャールズも同じように感じているのだろうかと見つめました。
私は自分の目を疑いました。
彼の指から、約10センチばかりの青い炎が噴き出しており、見ていると 神様は私に、「チャールズの上に いやしの油注ぎがあります。 講壇に来る最初の30人は すぐいやされます。」と語られました。 私はチャールズの話を中断させました。 神様の力はとても強くなっていたため、神様が 特別なことを成そうとしていることがわかりました。 私は神様が私に語ってくださったことを 会衆に話したところ、会衆全体が非常に騒ぎ立ちました。 私はこれまで一度も、病人や足萎えの人々が あんなに速く動くのを見たことがありませんでした。 チャールズがステージから降り、手を置き始めると、神様の力はとても強く、彼が群集の中を走ると 彼らは波打って倒れました。 約半分位のところに来たとき、彼が手を上げタッチすると、30人から40人が同時に
神様の力で倒されました。 人々は、それまで体験したこともない神様の力に触れて、会場中至る所で泣いていました。
この時、ボブとジョアンはステージから降りており、彼らはスピーカーを通して超自然的なわざが起こっているのを感じました。 ボブは、フランシスが、「道を開けてチャールズを通しなさい。」というのを聞き、そして、「火事」という言葉を聞きました。 私はできるだけ速く走って行きました。 何か爆弾でも爆発したのではないかと思ったからです。 確かにそうでした。 ― 聖霊の 爆弾 でした。 チャールズは群衆をかき分け、人々は至る所で神様の力に倒されていきました。
ジョアンは、「彼を通しなさい。 彼の手には火があるのです。」と言っているのを聞きました。
そこで私は ステージの後ろのカーテンまで走りました。 神様の力はとても強く、ちょうど硬い壁のように感じられ、「神様の驚くべき臨在に
私は思わず泣いてしまいました。」と言いました。
この時には、チャールズはほとんど会場を横切っており、炎は弱くなり、ついに消えてしまいました。
彼はステージに戻って来て、いやされた人は手を上げるように と言いました。
百人以上の人々が手を上げました。 神様は約束以上に、多くの人々をいやされました。
このような時、どのように感じるかを説明するのは とても難しい事です。 私が 見たり聞いたりしたことは、あまりにも神様に対する畏れの念を抱かせたので、私はただそこに立ち 次に何が起こるかを考えるばかりでした。 ほんの数秒間 待っていたでしょうか。 私はそれまで見たこともないものを見ました。 ジュビリー体育館はバルコニーが二つもあり、非常に高い屋根です。 会衆を見渡すと、16メートルもある 大きな鳩が、会場の左側を飛んでいました。 それは白ではありませんでした。 火のようでした。 その鳩は ちょうど、火で彫刻されたように赤く、オレンジ色や黄色でした。 その時ほど、神様の恐ろしいほどの臨在を感じたことはありませんでした。 それから驚くべきことが起こりました。 翼から外れた羽が、多くの人々に落ちました。
羽が飛び交う中で、それはちょうどロケットのように会場中をだんだん速く回り始めました。
神様が再び、「おかしな性的関係をもっている夫婦が ここにいる。 また、結婚生活の中で姦淫を犯している人々がいる。
私は聖霊の火を送り、焼き尽くす。」と言われました。 男性も女性も泣きながら、「神様私を救ってください。」と叫んでいました。
神様の臨在は、それまで感じたことのない人々に対しても、実在のこととなりました。
聖霊による 罪に対する迫りが、多くの夫妻に臨み ・・・ そして、ちょうど現れたときと同じように、その鳩は突然消えてしまいました。 それはすぐに
白い鳩に変わりました。
私は会衆に、「火の鳥」が消え、白い鳩に変わったことを 話しました。 そして、私は
白い鳩のことを理解できなかったので、神様のメッセージを待っていました。
神様は 今度は、チャールズにメッセージを与え、「わたしは白い鳩を、きよめの象徴として与えました。 あなたがたの結婚はきよめられました。 きよさを保ちなさい。」と言われました。 白い鳩は消えてしまいました。
何百人もの人々が、この驚くべき霊的体験の間、イエス様を信じ、多くの人が 聖霊のバプテスマを受け、同時にいやされました。 その夜だけで、約1800人もの人々が、神様の力に倒されました。
私たちは、天国に入るまで 神様の栄光の輝きを体験することはできないかもしれませんが、私たちの生活は、この夜以来すっかり変わってしまいました。
このことをある人は信じないかもしれませんが、そして あなたももしかするとその一人かもしれませんが、私たちはそこにいて体験したものとして
それを信じています。 不可能な奇跡でしたが、現実に起こったのです。
天から火が下った時が、他にも何度かありました。 すべての 聖霊に満たされた信者の 手から、神様の火が出ていく日は、何とすばらしいことでしょうか。 奇跡は起こっています。 聖霊は幻を与え、多くの群衆が神様に栄光を帰すために、立ち上がりつつあります。 それは あなたです。 そして私でもあります。 新しい幻をいただいて、前進しましょう。